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12日。
「さと子さん、ちょっと話あるんスけど・・・」
って、なんとなく深刻な雰囲気でメールが来たので
心配しながら行き着けのお店へ行くと、
なんと全員集合(・_・)

クラッカー鳴らして、ケーキとお花を貰って
乾杯してお祝いしてもらいました。






・・・ッッックリした。ほんまにビックリした!!!!
こんなん初めてしてもらった。(゜Д゜=)
嬉しくて感激して本気で泣いてもた(笑)


いっちー。なおちゃん。みっちぃ。けいくん。いけやん。えみちゃん。
それから、協力してくれたマスターと ひーくん。
ありがとうありがとうありがとうありがとう!!!!
知り合えて良かった!!!!てゆか、友達ってすげー!!o(T―T)o



私 お母さんが30歳の時の子やねんけど
その30歳になってみると、めっちゃ自分が幼くて不安定な人間やから
うちのお母さんって凄いなと思った。

今の私は 子供産む精神力なんか備わってないし
愛する人が居てても、妊娠する勇気も持てないねんもん。
昔の人は成熟してたんやろか。それとも、やっぱり未熟やけど そう生きることで徐々に成熟していったってことなんやろうか。

お母さんは元からお母さんだったわけじゃないんやし
いつも体当たりで私を守ってきたはず。
女性が妻になって母になっていくのは、簡単じゃないよね。

 
私の場合はお腹に私が居るって知った日から
胎教のために母はずっとピアノを弾いて、
私に聴かせながら“どうか指の長い子が産まれますように”って祈ってたらしい。

1980年の7月14日、産まれた私はとてもデブちゃんで
男の子並みの体重だった割に、ヒョロヒョロの長い指を持って産まれたそう。
母はそれを見て、泣いて、「ピアノをやらせたい」って強く思ったんだって。

母の夢が私の夢になるまで、相当時間も苦労もお金もかかり
正直、普通考えられへんくらいの母子の闘いとか努力があって
でも なんとか 一応私はピアニストになれた。

誰にも分かってもらわなくて全然いい。
周りにはきっともっと大変な思いをして、苦労や努力を重ねたピアニストもいるやろう。
でも、私は私の母との中で築き上げてきた結晶が今の自分自身。


30歳だった母が7月14日に夢見た 娘の未来。
あの頃に比べて、今の母には私がどう見えてるのかな。

お母さんのあの日の歳になって、やっと少し分かる部分が出来た気がする。
夢をまだ見続けている、諦められない私だけど
ピアノを通して出逢えた人たちと話す度に、いつも思うよ
ピアノ弾けて良かった、色々あったけど、続けててホント良かったって。

お母さん、産んでくれて本当にありがとう。
まだまだ、私、がんばるよ。
グルメな私は(ただ単に食いしん坊とも言うが)
お花と温泉だけでなく、美味しいものも堪能♪♪♪

夜は「田むら銀かつ亭」で豆腐かつ煮と箱根ビールを
昼は「知客茶家」でとろろをかけた麦ごはん
お土産(自分用ですが、何か? 笑)に、
「富士屋ホテル」の直営店「ベーカリー&スイーツ  ピコット」の
クラシックカレーパンや あじさいロールなど
かなりかなりか~な~り~、にんまりしちゃう的な、太ってしまう的な、
またまたダイエットせなあかんやん的な~~(笑)、、
家に帰ってもまだ幸せが残ってる、嬉しい買い物までして
早めに帰路につきました。

当然でごじゃりますが
朝は6時半からゆ~っくり温泉入ってきたよん♪
日々のエアコンで足が浮腫んでたのがすっきりしたのに
まだムクんでるみたいな太さやねんけど。( ̄_ ̄)
まぁ しゃ~ないヮ。足太いんは生まれつきぢゃ。     (?)
この頃は1年前と違って、ほんまに腰が快調なので、ヨシとしよか(-_-)b”





宮ノ下駅を降りてスグの所で、素敵なカフェに入りました♪♪♪


「NARAYA CAFE」
足湯に浸かりながら、渡邊ベーカリー製のパンで出来たホットドッグに
冷たいカフェオレが最高に気持ち良い時間でした!!



ぬぉ~~~
また行きたいぞぉ☆☆☆☆
ありがとうございました♪(^ー^)v



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